昭和40年04月16日 夜の御理解
広大なおかげを頂きまして有り難うございます。と広大なおかげを頂いて有り難いと、広大なおかげを頂きまして有り難いという、そのおかげがです。その内容いかんによって次のおかげにもなりゃあ、そのまま信心がもたれてくるという例がございますねえ。例えば今日の様に大祭。本当に皆さんの一生懸命の真心一心が、今日の様な盛大なお祭りを頂いたわけなんですけれども。
本当に広大なおかげを頂きまして有り難うございましたと、ところがそのこれは、どこもこんな例が大祭のあとには、すうっと御ひれいがおちる。本当に今日の御大祭は感激、あの御大祭の感激というのがです。広大なおかげを頂きまして有難かったというのが、有難かったと言う事だけをとどまってしまう。だから本当に有難いというのはです。さあこの有難さをもって、また次の信心をさせて頂くのぞという。例えば一つの願い事をする。一生懸命参った日参りさせて頂いた。
願いが成就した。広大なおかげを頂いて有難いとこういう。そりゃあ有難かろう。願いが叶ったんだから。ところが信心がそれでストッとこう弱まってしまう。信心がおちてしまう。それでは私信心の成長というのはない。勿論おかげが成長していく。と言う事も勿論ありません。【 】と言う事になる。そこで私共のいうておる。広大のおかげを頂きまして有り難うございます。
今までよりも元気な心がでるという信心であって、有難いであって初めて有難い信心であり、本当の意味での広大なおかげであると言う事を、その人は実感しておる。そうでしょうがねえはあおかげ頂いた。もう本当にやれやれ信心までもやれやれになってしまう。というのが、例なんですねえ。ところが段々私この昨年の秋の御大祭それを感じております。おかげでかばめも本当の事になっておる。ためにはです。お互いが一つ大きな願いをもたなければいけないという。
ひとつの事成就したからそれがやれやれと言う事では、なくてです。今晩も明日御大祭の反省会が、総代それから各部会の方々の部長さん方がみんな集まって、その御大祭のよりよい大祭の為に反省会をなさいます。ところが今日はあの御造営の事がありますから、明日もういっぺん今度は、御造営の方の幹部の方が、皆一緒に集まろうと今日集まってあさっては、月次祭でまた集まらんならん、福岡あたりの方達は大変な事である。そういう人達が明日いわばある御造営の事についての問題があるんです。
問題というのはその有難い事でありますけれども、その事をおかげ頂く事の為にももういっぺん【 】もう大祭で疲れ果てておる。もう【 】ては、月次祭明日は、月次祭じゃけん。いうか明日またよろうとこの勢いが、私思うのがそれが、私は有難い為には、ですお互いが大きな願いにもえておらなければ感じます。大きな願いをもてと言う事なんです。広大なおかげを頂いて有難いと、広大なおかげを頂いて有り難うございますという。【 】やれやれになってしまうという。
【 】様な本当の意味での神様が、喜んで下さる様な広大なおかげではない。広大なおかげ頂きました。というてお酒の御礼に例えば持ってきた。それでしまえた様な信心になってしまう。この広大なおかげをです。信心に生かしていこうという。初めて私は広大なおかげをそれが本当に有難いのだと、そこには信心限り無く事が感じられるでしょう。どうもどういう信心にお互いならして頂かなければならんと思うのです。
今日なんですかねえ、何名でしたかねえ750名今晩皆さんのをすると結局800名からのお届けがあってるんです。ですから本当に大した事だなあと思うんです。このせまい所に庭にもゴザをしいて座るというけれどもですからねえその広大なおかげに間違いがない。けれどもそれがです。もう本当にお参りが多かった。おかげ頂いたとやれやれになったら私は、次のおかげにならんと思うですねえ。